◆マザーテレサ・ボランティアで知るインド体験! 
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インドは一言でいうと、「人がきらきら生きてる」って 感じ。

埃っぽい町の中に、貧富の差が激しく入り混じって 、物乞い、道で寝てる人、野良犬だらけ(狂犬病とも思われる犬も・・)、車がいつも渋滞しており、とにかくごちゃごちゃしてる。
交通ルールはほぼ無視で、車のクラクションがひっきりなしで本当にすごい。朝起きたときになんか工事でもやってんの?というくらいの爆音が毎日。

正直大変なところに来てしまったと、その時想う。

でも、インド人はすごく優しく、素晴らしい人ばかりだった。
今までいろいろなアジアを行ってきましたが、こんなに頭が良く、レベルの高い人たちに出会ったのは初めて。
英語はもちろんのこと、 日本語もすばらしくうまい。(全員ではないけど、そういう人がいる)

 


マザーテレサのボランティアの施設に行き、 ボランティアを始めて経験してきた。
これも衝撃的。捨てられた子供、障害がある子供たちの前で最初はひるんでしまった私。
ここまで来て、どうすりゃいいか考える事が情けなかった。それに他のボランティアの人は積極的にテキパキ動いていた、その姿を見てさらに私は何しに来たんだと落ち込む。日本では色々と親切に注意書きやルールがある。それにいつの間にか慣れており、説明書や誰かの言葉がないと動けなくなっていた。ボランティアをはじめる前に長期滞在している日本人のボランティアの人に話しを聞いたのだが、その人が言った言葉がとても印象的だった。「ボランティアはものをあげる事ではなくて笑顔や愛をプレゼントする事なんですよ!」と教えてくれた。私は
ボランティアをした事がなく、テレビでも有名人が物をあげていて子供が喜んでいるのを見て、そういう事なのかなと想っていた…それを少しでも考えた自分が恥ずかしかった。

そんな色々考えている間に、ここまで来たから今私に出来る事をしたい!と思い、
子供たちにご飯をあげて、オムツを替えて、みんなのシーツを 洗って干して・・などなど

本当にたいした事が出来なかったが、少しでも子供たちが喜ぶ顔が見たかった。
ボランティア最後の時に知能障害の女のこが抱きついて、離れなかった 時にはたまらない気持ちになった。

町でも物乞いしている子供に出会い、いろいろな想いが こみ上げてきた。

日本にいる自分の環境はとてもすばらしく、日本に いる自分はとってもちっぽけで、幸せなのだと 痛感した。いろいろなつらい事があるけれど、家族も友達もいてみんなに愛されているのだ!

インドの子供達の笑顔は本当に素敵だった。

インドの人は感覚が日本人に近くて、たくさんおもてなしをしてくれ、短期間の滞在だったけど「ウルルン滞在記」のような涙涙のお別れシーンを味わう事が出来た。 ママのつくる料理はシェフ並みにおいしくて、最終日にママのご飯が
明日もう食べれないって思うと、食べながら泣いてしまった。

インドへ来て私は「生きる」ことの意味を肌で感じてこれた。それから「愛」がどんなに人を幸せにするかも分かった。色々な国へ行って旅行や留学をしたけれど、ここまで自分の人生や自分自身と向き合う事がなかった。こんなに短期間でも、こんなに道が開けた感じになる国ってインド行ったからこそだと思う。

 

 

■ この仕事をはじめたきっかけ

高校卒業後にファションに興味があり、服飾の専門学校へ進学したが、1年生のときから授業の内容がつまらなくて仕方なかった。2年の後半には、就職活動が始まったが、絶対に服飾関係の仕事はしないという事以外は何も決まっていなかった。
その時になぜかイギリスに留学しようと思いつき、学校を無断で休み1ヶ月行くことにした。
イギリスではホームシックになったり、バスで色々な町を一人で旅したり、外人の友達ができたり、初めて両親や友達と離れて暮らしたり、とにかく初体験をたくさん経験した。

今でも飛行機からおりた瞬間は忘れない。あの瞬間なんともいえなく感動した。

イギリスから帰ってきて、色々な事を思った。日本しか見た事しかなかった私は、世界は広いんだと感じた。違う言葉を話し、目の色、肌の色が違うが同じ人間なのだ!それが本当に不思議に思った。でももっと色々な人に出会って、話をしてみたいと思った。

人と話すことがあまり得意ではなかったけど、接客業の仕事につきたいと思うようになり、当時ドラマでやっていたウェディングプランナーに憧れ、その道を進むことに。バイトをしながらウェディングプランナーの学校へ行き、その主催するブライダル会社へ就職する事が決まった。そこでは社長が厳しい方で、スリッパが少し斜めになろうものであれば、怒鳴りまくる感じだった。そこで毎日しごかれながらも、毎週土、日は毎回感動し、新婦さんよりも泣いていた。その会社が倒産することになり、楽しかったが職探しが始まる。

もう一度海外へ行こうと思い、相談しに行った留学斡旋会社のカウンセラーの人がすごくキラキラしていて、海外へ行くのではなくこの人と一緒に働きたいと思ってしまった。
早速応募をして、社長面接まで行くが不採用。しかし、何故かまだ落ちていないと勝手に思い込み、その会社の近くでバイトをはじめコネクションをつくれば入れるのではないかと考えた。それから社長へ自分の想いを手紙に書き送ったのだ。そうすると直接社長から連絡があり採用される事になった!そこでは社会というものをたたきこまれ、色々なお客さんに出会うことができた。海外へ行くという事は、人それぞれに想いがある。その手伝いを出来る事がとても楽しくやりがいを感じていった。

そんな好きな仕事だったが働きすぎがたたり、精神的に疲れてしまい軽鬱病と診断されてしまった。今ではなんともないのだが、この時は「やる気」という気持ちがどこかに消えてしまった。あんなに積極的だった私はどこに行ったのだろうとそういう事ばかり毎日想い、先に進めずにいたが、半年間ほど何もしなかったらさすがに飽きてきて、ようやく職を探す事になる。その時はまた病気になるのが嫌だったので、リハビリのつもりで大手旅行会社の派遣社員を1ヶ月間やる事になった。人と関わることが無く、ただ毎日パソコンに向かう毎日だった。それに何の面白みを感じず、やはり人を関われる仕事をしようと再度思ったのだ。

ちょうど求人があったアジア専門の旅行会社へ入社が決まった。そこではとても貴重な出会いと経験をさせて頂いた。この会社に入らなければ、私はインドと出会う事が出来なかったと思うのだ。ここでも色々なお客さんに出会い楽しく、仕事にやりがいを持てる事をうれしく思った。しかし、私の想うことと会社が求めることがあまりにも違いすぎたのだ、その違和感は埋める事が出来ず、この仕事は好きだけど自分の想いは変える事が出来ないので辞める事を決意した。

その後、インドよりわざわざ会いにきてくれた人がいました。その方にインドのボランティアへ行きたい人をサポートした方が良いと言ってくれました。私も少しでも多くの人にインドを知って欲しいという気持ちがあったので、少し考えましたが私の出来るところから初めてみようと想いました。その時に色々な人がサポートをしてくれました。もちろん今でも進行形ですが、その人たちの為にも私はこの仕事をするべきだと想いました。

インドに行き、マザーテレサの遺体が安置されていたトーマスチャーチに入った時に、
「あなたはインドに来る日本人をサポートしなさい」とふわぁと言われたのです。門を入ったすぐそこで不思議な感覚になったのです。これはきっと私にマザーが言ってくれた言葉と信じています。


■ これから出会う皆様への想い

私は一人ひとりの話をきいて、その人がどんな人なのか、どんな雰囲気が好きなのか、今回旅へ行く本当の目的などしっかりと聞いたうえで提案しています。お客様という感覚は私にはあまりないのです。今までもずっとそうしてきました。たまに、お母さんやお姉ちゃんなど呼ばれたりもしました。海外へ行くことは色々な想いがあります、その一つひとつを一緒に作って行きたいと私は想っています。

せっかくだったら、楽しく準備して、自分にあった素晴らしいたびをした方が良いですもんね!その為のサポートやアドバイスを一人でも多くの方に出来る事を心より願っております!

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担当:福室まなみ