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マザーは、1910年(明治43年)8月26日、マケドニア〈旧ユーゴスラビア〉の故郷又は首都スコピエで生まれました。本名はゴンジャ・ボワジュでした。彼女のお父さんは商人でニコール・ボワジュ、母親はドラナと呼ばれ、両親はアルバニア系の熱心なカトリック教徒でした。 父は地方では尊敬されていたビジネスマンでした。ボワジュは彼女の名字でした。彼女は8月27日に洗礼を受けて、アグネス・ゴンジャ・ボワジュと命名されました。アグネスは5歳半の時初聖体拝領を受け取り、1916年11月16日初聖体を受けました。1919年アグネスが9歳の時、父親が亡くなりました。その後母親のドラナが3人の子供アガ〈1904〉、ラザル〈1907〉とゴンジャ〈1910〉の面倒を見ながら大変苦労して子供たちを育てました。

1928年9月26日18歳の時、アグネスはアイルランドのダブリンにあるロレート修道会がインドの各地に宣教活動をしているという話しを聞いて、最愛の母と妹に別れを告げ、故郷スコピエの家を離れて修道女になろうと決心し、パリに向かいました。数週間、パリでシスターユージント過ごし、イエスのしもべとして生涯を   決心を強くしました。その後アイルランドの渡り、ロレート修道会に入会しました。

1928年10月12日アグネスは受洗して、ロレート修道会のシスター志願者として、修道名をシスター・テレサと改名しました。

1928年12月01日修道本部のアイルランドのダブリンからシスター・テレサはインドのベンガルの宣教地区に向けて船で出発しました。

1929年1月6日にインドのカルカッタ(コルカタ)に到着しました。

1929年5月23日シスター・マリア・テレサはロレート修道会に入会しました。その後ダージリンのロレート学校で教師の仕事の訓練を受け、同時に病院の手伝いも始めました。
修道名はテレサとなりました。

1931年5月25日にカルカッタ(現在コルカタ)に戻ってからロレート修道会のシスターテレサとして誓願を立て、カルカッタの東部のエンタリー地区にあるロレート会経営の高等学校聖マリア女子高等学校で、地理と歴史の教師になりました。 その後、聖マリア女子高等学校の校長にもなりました。

1937年5月24日最終的誓願を立て、シスター・テレサはこの時から聖者のような生活に入りました。これからマザー・テレサと言う名前でよぶようになりました。

1943年にカルカッタに大変な干ばつがあり、50万人以上の人々がなくなられました。

1946年に宗教氾濫が起き、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒との争いでたくさんの一般の人々が殺されたのです。当年9月10日は“インスピレーションの日(決意の日)”でありますがシスター・テレサはダージリンにある修道会で大事な黙想の行に入るために夜汽車に乗り、むし暑い車内で、「修道会を出て貧しい人々につかえる決意をせよ。そして貧しい人々といっしょに生活せよ。」と言う神のお召しの声を聞きました。シスター・テレサは、みずからのうちなるイエスの声を聞き、そのことを求めて受諸しました。

1947年8月15日インドがイギリスより独立しました。同時にパキスタン国も成立し、おびただしい数の難民が新しい成立した東パキスタンからカルカッタになだれ込んで来ました。

1948年4月8日マザー・テレサははじめて白地に青いふちどりのついたサリー(インド女性の着る衣装)の姿でロレート修道会の門を出てきました。

1948年4月12日マザーロレート修道会を離れる独自な活動の許可をローマ法王より与えられました。

1948年8月17日38歳の時ロレート修道会を出て、カルカッタ(コルカタ)のスラム街に住んでいる貧しい人や孤児たちのための奉仕活動を始めることを決心しました。その後カルカッタからパトナーに向い、アメリカン医療宣教修道女会で看護のための医療の訓練を4ヶ月間を受け、子供や病人のせわをすることから、一人だけの「宣教」を始めました。12月9日にカルカッタへ戻って、12月21日からタルタラとパン・バガンと26日からティルジャラを始めて訪問し、27日からモティジィールにスラム街の子供たちに字を教え始めました。12月9日にカルカッタへ戻って、12月21日からタルタラとパン・バガンと26日からティルジャラを始めて訪問し、27日からモティジィールにスラム街の子供たちに字を教え始めました。

1949年2月にマザーはマイケル・ゴムス氏の協力で彼の家14番クリック・レンの3階に住むところ与えられ、貧しい人達のために、本格的な救済活動に取り掛かりました。テレサがたった一人で子供たちに勉強を教えている事を知って、同年3月19日ロレート修道会時代の教え子、ベンガリの少女スハシニ・ダース(テレサの幼名をとってシスター・アグネス)が最初のマザー・テレサの弟子として参加しました。又5月もう3名、11月5名そして1950年7名がマザーといっしょに活動をはじめたのです。同年にカルカッタ大司教とローマ法王ピオ十二世から修道会の外へ出て行って生活をする許可を得ました。

1950年(昭和25年)10月7日ローマ教皇庁からも正式に認可され、マザー・テレサを中心にわずか12人のシスターの生活共体として新しい修道女会(神の愛の宣教者会)を1950年10月7日に設立しました。会憲の中には、修道社の伝統的名3つの誓願【清貧】【貞潔】【徒順】のほか、「貧しい者につかえる」と言う項目がくわえられました。

1951年12月14日にマザーは国籍をインドに移しました。

1952年8月22日マザー・テレサが42歳の時、カルカッタ市役所からヒンズー教の有名な寺院であるカーリー女神のお寺カ−リーガートの一角にある巡礼者たちの休憩する建物を頂き、「死を待つ人の家」ニルマル・ヒルダイを開設しました。路上またはスラムで死にかけている人々を収容して治療を始めました。

1953年2月にクリク・ローから現在神の愛の宣教者会の本部になっているマザー・ハウス【Acharya Jagadish Chandra Bose Road】の建物に移り、28人のシスターたちもいっしょに移って来ました。

1955年45歳の時カルカッタ市内にめぐまれない子供たち又はみなし子達のため「孤児の家」を開設しました。

1959年にハンセン病の移動診療所を始めました。同年初めカルカッタから西へ約600キロ、ランチの町に修道院を開設しました。

1960年10月18日カルカッタの郊外約30キローのところチタガールにハンセン病の患者さんたちに治療を始めました。同年12月30日一カ国国で4カ所にシスター数は76人でした。

1962年8月11日インド政府又インドの初代大統領ラジェンドラ・プロサド氏がマザー・テレサにインド国内の栄誉「Padma Shri」という称号を与えました。

1963年3月25日には男子修道会「神の愛の兄弟宣教者会」も設立されました。

1965年2月1日ローマ法王パウロ十六世の許可を得てインド外の国々で救済活動を始めまして、ベネズエラのココロテに初めての出張所を開きました。

1968年マザーは56歳の時ハンセン病患者の療養施設シャンティ・ナガル「平和の町」を作りました。カルカッタから北西へ約200キロ、汽車で5時間かかる離れた所にあります。シャンティ・ナガルの施設は1969年から正式に始まりました。

1970年末には世界8カ国、計40カ所にミッショナリーズ・オブ・チャリテイのセンターが設立されました。シスター数330人でした。

1971年1月6日にパウロ六世より、ヨハネス二十三世法王平和賞を、また、ボストンの善きサマリア人賞、そして11月にケネディー国際賞も受賞しました。

1972年11月にインドの大統領からジャワハルラル・ネール国際平和賞を受賞しました。

1973年にテンプルトン賞を受賞しました。

1975年にマザー・テレサはシュバイツアー賞を受取りました。同年、ミッショナリーズ・オブ・チャリテイ〔神の愛の宣教者会〕25週年を迎えました。

1976年1月25日にニューヨークにシスター・ニルマラ(マザー・テレサの後継者)によってミッショナリーズ・オブ・チャリテイ観 修道会が開設されました。

1979年12月10日、マザー・テレサは69歳の時、ノルウェーのオスロ大学の大講堂で開かれたノーベル平和賞の授賞式に参加し、白地に青いふち撮りのついたサリーの上にセーターといつも履いていた革ぞうりの姿でノーベル平和賞の金メダルと賞状賞金を頂きました。

1980年3月22日にマザー・テレサは、インド政府から国内最高の栄誉「Bharat Ratna−インドの宝」という称号を渡されました。同年末には世界35カ国、計178カ所にミッショナリーズ・オブ・チャリテイのセンターが設立されました。シスター数1335人でした。

1981年4月22日ファミリーライフ協会と世界宗教者平和会議日本委員会の招聘で初来日。
5月24日東京に修道院を開設。

1982年4月22日再来日。東京、宝塚、長崎、福岡、大阪を訪問しました。
同年ブリュッセル・カトリック大学から名誉は博士号を受賞しました。

1983年にローマ法王と会見中に最初の心蔵発作を起こしました。当年11月英国女王エリザベス2世から「Order of Merit」賞を受取りました。

1985年にレーガン大統領からアメリカの最高国内の栄誉「Medal of Freedom」という称号を渡されました。

1985年にミッショナリーズ・オブ・チャリテイのエイズ患者の為の始めて診療所を設立しました。

1986年10月1日名古屋に修道院を開設しました。

1989年ペースメーカを心臓に装着しました。

1990年8月にマザーは引退することを発表されましたが、再びシスターたちから選ばれました。

マザーは1928年にスコピエの家を離れてから始めて1991年にアルバニア(現在サイベリア)を訪問しました。当年メキシコに行き肺炎になり、心臓発作を起こしました。

1993年5月にローマに行き足をすべらせて骨に皹が入り、又8月にマラリアでニュ・デリーに入院され、9月カルカッタで心臓病の手術を受けました。

1994年2月3日アメリカの上院・下院共同主催によるお祈りの試の朝食会で講演しました。

1996年にマザーは86歳の時世界で4人だけしか受けたことがない、アメリカの名誉市民の称号を受けました。同年、持病の心臓病とマラリアを併発し危篤となるが、驚異的に回復しました。

1997年3月13日体力の限界を感じて、マザーは神の愛の宣教者会の総長を引退し、後継者としてインド人のシスター・ニルマラを新総長に選びました。同年8月26日満87歳の誕生日を元気な笑顔で迎えました。9月5月の夜9時30分頃心臓発作のため87歳で亡くなられました。

マザーの亡くなられたことを聞いて宗教を問わず数万人の市民がマザー・ハウスに列を作って花束や花輪を持って祈りました。インド政府は異例とも言える国葬とすることを発表して、マザー・テレサに最大限の敬意を表しました。9月13日の国葬の日、聖トーマス教会に安置されていたマザーの棺は、陸軍兵によって砲車に乗せられ、カルカッタ市内を約1時間かけて国葬会場まで行進しました。砲車はインド独立の時にイギリス軍から引き渡された歴史的な砲車でありました。独立の父マハトマ・ガンジー、初代ネール首相につづき、マザー・テレサは3人目でした。砲車の前には修道女と聖職者が厳粛表情で座っていました。式典にはインド大統領夫妻、世界のVIPの賓客をはじめ約1万4千人の人々の見守る中厳粛に行われました。

国葬終了後、棺はインド陸軍の砲車に乗せられMissionaries of Charity〈ミッショナリーズ・オブ・チャリテイ〜神の愛の宣教者会〉の本部に運ばれ、マザーの遺言どおり本部の一階に埋葬されました。

「20世紀に天使がいた」 マザーテレサメモリアル公式ページ

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担当:福室まなみ